**大日苑の写真いろいろ**



*大日苑(旧植竹庄兵衛邸)の概要を以下に記します。



【場 所】 
「旧植竹庄兵衛邸」は、茨城県の南部、旧稲敷郡の中央部に位置する稲敷市江戸崎にある。
市内を流れる小野川の河川近くにはかつて、遊水池を兼ね「榎浦」と呼ばれた入り江が有った。現在そこは「江戸崎入り干拓」=「稲波干拓」呼ばれ、水田になっている。旧植竹邸は、その干拓地を東に望む台地に建っている。


【歴 史】
旧植竹邸の歴史を紐解いてみると。この建物を建てたのは「植竹庄兵衛」と称する人物である。
この人物こそが、江戸崎入り干拓の生みの親である。植竹庄兵衛は、群馬県太田市の生まれである。
昭和14年江戸崎干拓耕地整理組合長として干拓工事を始め、昭和22年県営工事に移管するまでの間、干拓事業を遂行し、その後の完成におおいに貢献した。
旧植竹邸とは、昭和14年に植竹氏が、自らの居住を目的として建てた住宅である。間もなく昭和19年皇族であり海軍軍人(鹿島航空隊司令官)でもあった久邇宮朝融殿下の住宅の用に供するところとなった。
戦後、所有者が変わり、一時期
「大日苑」として、結婚式場や宴会場として利用された。


【建物の特徴】
この建物はどのような建物であろうか。構造は、木造二階建、金属板葺きである。
外部意匠は、玄関から二階建部分にかけてはアール・デコ風であり、座敷部分は、伝統的和風意匠である。
一階間取りは、玄関・応接等の部分、奥に食堂・厨房・居間部分と西側の座敷部分の三っつにわかれている。
二階部分は、階段を挟み大広間・和室2部屋がある。
明治以降日本は、国を挙げて西洋を範とした近代化に努めた。建築でも例外なく西洋の意匠・様式を施したものが建築された。それらは現在各地で、明治の近代遺産として保存されたり、注目されている。
旧植竹邸は、
和洋折衷様式の範疇に入り、その特徴は、3つの部分に集約出来る。1つは、玄関部分二つは、座敷。そして二階の座敷である。
昭和戦前に多くの立志伝中の人々が建てた住宅様式の一つであり、また明治の近代化を進める中での、和と洋を折衷させた典型的な住宅である。質的にも高く、保存状態もよい。

このため、市の有志が中心となり「大日苑保存会」を結成し奔走し、現在「NPO法人稲敷伝統文化保存会」にて管理・運営されている。